【前編】祭りは人間の…

ミライのヒント

【前編】祭りは人間の「必須栄養素」。芸能山城組に聞く、人が集い、つながる場の必要性

「完成された体験」を来場者に届ける。多くのイベント制作がそうした発想に立つ中、異なるアプローチで祭りをつくり続けてきた集団があります。それが芸能山城組です。1974年の結成以来、世界各地の民族芸能を自ら調査・研究しながら実践を続けてきた有志の集団でありながら、映画『AKIRA』の音楽を手がけたことでも国内外にその名を知られています。

彼らが目指してきたのは、観客と演者を分けない「都市における未来の祭り」のプロトタイプをつくること。毎年新宿で開催される「ケチャまつり」の準備や運営の段階から人を迎え入れ、約50年という時間をかけて、一つの文化とコミュニティを育んできました。人が集まり、つながり、やがて自らも担い手へと変わっていく。そんな場は、いったいどのようにつくられるのでしょうか。

2025年から芸能山城組の活動に加わったベニューリンク編集部の尾亦耕平が、40年以上にわたり活動を続けている本田学氏に、イベントの参加設計と組織づくりのヒントを聞きました

(Profile)
本田 学(ほんだ・まなぶ)氏
国立精神・神経医療研究センター 神経研究所 部長
1988年京都大学医学部卒業。1995年京都大学医学研究科博士課程修了。米国国立保健研究所(NIH)訪問研究員、自然科学研究機構生理学研究所准教授などを経て、2005年9月から現職。学生時代は関西地方を中心に活動し、ケチャまつりや公演などの大きなイベントごとに東京に通っていた。大学院入学と同時に、芸能山城組の中の研究集団である文明科学研究所(所長:大橋力、芸能山城組組頭・山城祥二の本名)の一員として本格的に研究活動に参画。現在は、組頭・山城祥二こと科学者・大橋力が発見したハイパーソニック・エフェクトを健康・医療領域に応用した「情報医療」の研究開発に取り組んでいる。


尾亦耕平(おまた・こうへい)
電通ライブ 経営推進局 AI・ワークイノベーション部、ベニューリンク編集部所属。大学で建築を学ぶもドロップアウト。映画好き(もちろん『AKIRA』大好き)が高じて、広告映像の世界へ。フィルム、デジタル/リアル空間体験、アート〜ストーリーテリングまで幅広く手がける。音に人一倍こだわりをもち、水族館やフラワーアート展示などにおけるサウンドインスタレーションを行ってきた。2024年にケチャまつりを初鑑賞。文字通り心動かされ、芸能山城組に「祭仲間」として参画。2025年に夏のケチャまつり、冬の公演に続き、今夏のケチャまつりに向け年始早々に有給取得申請済み。目下、毎週の稽古や美術セットづくりを手伝う。

人が集まり、つながる「祭り」を都市につくる

尾亦 私は2024年に、観客としてケチャまつりを訪れ、その場に生まれる一体感や熱気に引き込まれました。翌年には、自分もつくり手として関わりたいと思い、組員と一緒に祭りを支える「祭仲間」として参加しました。芸能山城組(以下、山城組)は長年、世界各地のコミュニティに伝わる祭りのフィールドワークを重ねてきたそうですが、そこからどのような気づきや共通点が見えてきたのでしょうか。

本田 まず、「地球上にお祭りを持たない民族はない」ということです。どの地域でも、人は祭りを中心に集まり、お金や時間、労力などを持ち寄って場をつくっています。音楽や踊りだけではなく、工芸や美術、食事や交流まで含めて、さまざまな要素が混然一体となった場ができあがっていきます。

さまざまな文化圏の祭りを調べる中で、人間にとって祭りとは、健康に生きるための「必須の栄養素」のような営みなのだと確信するようになりました。

ケチャまつりの様子。ケチャが演じ手も観る人も恍惚(ライトトランス)の境地へといざなう


尾亦 そうした祭りを、なぜあえて都市の中につくろうと考えたのでしょうか。

本田 今でこそ、共同体のつながりや地域の祭りの価値が見直されていますが、山城組がケチャまつりを始めた1970年代は、高度経済成長の真っただ中、西欧文明万歳の時代でした。

猛烈に働くことが優先され、祭りや共同体は、大いなる無駄であり、克服すべき古い慣習のように捉えられていた時代です。経済的な対価を生むための催しはあっても、人々が時間や労力を持ち寄り、ともにつくる祭りは、都市からほとんど失われていました。

山城組の組頭(リーダー)である山城祥二は、祭りが失われていくことを嘆いたり、言葉で批判したりするのではなく、自分たちの手で本物の祭りを実際につくってみようと考えたのです。そこで、「都市における未来の祭り」のプロトタイプとして始めたのが、ケチャまつりです。

バリ島という土地が育んだケチャは、極めてダイナミックかつ、他には類を見ない独特な伝統芸能として知られています。通常の音楽とは異なり、指揮者やメトロノームといった全体を制御する同期信号なしに、100人以上の演奏者が、「チャッ」という人間の叫び声からなる複数のリズムパターンを組み合わせることで、高速の16ビートの合唱を生み出すところに、その大きな特徴があります。


それは、演奏者全員が互いに気合いを合わせて高度に同期しないかぎり、創り出せません。まさに、以心伝心、阿吽の呼吸が満ちあふれた人間の群れが実現しないと生まれない芸能なのです。

演じる人たちが祭りを通じてつながると同時に、そこへ集まった人たちとも音楽や踊りを通して祭空間を共有する。同じ空間に集まり、オフラインで同期することで、みんなで一緒に感動や快感を味わい、「祭りっていいね」と感じてもらう。そうした実体験を通じて、祭りの価値を実体先行で示していこうと考えたのです。

1982年に京大入学時の新歓で、ケチャの魅力にハマってしまい芸能山城組に入門したという本田氏

尾亦 イベントも、人を集めて楽しんでもらう点では祭りと共通しています。違いは、目的の置き方にあるのでしょうか。

本田 そうですね。多くのイベントでは、人を集めて楽しんでもらうのがゴールではなく、それを手段として用いることで、経済的な利益や事業上の成果といった「目的」を得ようとすることが多いように思います。

一方、共同体の祭りは、参加する人たちが経済性や効率性を優先せず、群れの力を結集して、さまざまな苦労も共有しつつ祭りの準備をします。祭り当日はパフォーマンスで同期して快感という報酬を得る、そしてリアルな人間同士の信頼感と協調性を強化することが、ゴールのひとつです。

もちろんケチャまつりでも、縁日で冷たい飲み物や記念グッズを販売したり、公的機関から助成を受けたりすることもあります。ただ、それは祭りを維持し翌年へつなぐための手段であり、経済的な利益を目的にはしていません。

尾亦 芸能を生業にしないことも、大切にされていますね。

本田 はい。山城組は誰にでも開かれていますが、音楽を生業にするプロの方は入門をお断りしています。

その最大の理由は、音楽や芸能で経済的対価を得なければならないプロになるとさまざまな制約が出るためです。経済効率を考えなくてもよい最も贅沢な表現活動を実現するためには、アマチュアでなければならないのです。

たとえば、私たちは2年に一度、メンバー全員が自費でバリ島へ行き、現地の共同体の師匠から芸能を学びます。バリ島の芸能は、共同体をベースにしてできており、特定の個人が技術を習えば成立するものではありません。人と人とが、いかにして心を一つにして力を合わせられるかが決め手になり、芸能を支える社会システムのあり方から学ばなければなりません。

バリ島芸能の真髄を学ぶためには、個人の技術だけでなく、個人間の関係性のあり方を含めて学ぶ必要があるのです。そのためには、全員でバリ島に行くしかありません。しかし、そんなことをしていたら、とてもじゃないですが、プロでは採算が取れません。

このように、プロになれば、生活を維持し、採算を合わせるために表現上の妥協をしなければならないことも多々あります。自分たちが本当に求める究極の表現を惜しみなく追求するには、アマチュアであり続ける必要があるんです。

日暮れと同時に始まる「ガムラン」の演奏。輝かしい旋律とスリリングな16ビートが陶酔を誘うバリ島の“青銅の交響楽”。音色に豊かに含まれる耳に聴こえない超高周波成分は、美や快に関わる脳機能を高め、深いやすらぎをもたらす

観客と演者を分けない。共感で結びつく共同体

尾亦 芸能山城組の「ケチャまつり」を拝見していると、観客と演者の境界線がどんどん溶けていくような不思議な一体感を感じます。私たちが普段イメージする、いわゆる「観客参加型のイベント」とは何が違うのでしょうか。

本田 ケチャまつりには、「バナナの叩き売り」のような観客参加型の演目があり、高い人気を博しています。ただ、私たちが言う「観客と演者を分けない」というのは、単に観客参加型の演目を用意するだけではありません。

より本質的なのは、去年は見ていた人が「今年は自分もやってみたい」と思ったら、祭りの準備や運営から参加してもらうことです。仕込みの段階から一緒に関わらないと、本当の祭りの味わいは分かりませんから、お祭りを支えてくれる人たちには、かなり広く門戸を開いています。

そうやって、観客だった人がいつの間にか祭りの仲間となり、演じる側にもなっている。それこそが、私たちの考える「観客と演者を分けない」ということなんです。

山城組の倉庫にて、美術セットや屋台の修繕を行う山城組メンバーと祭仲間

尾亦 なるほど、関わる人たちの関係性そのものを変えていくのが本来の「祭り」の姿なんですね。私自身もそうですが、そうした体験に惹かれて集まる方は多いのでしょうか。

本田 非常に多いですね。毎年楽しみに来てくださる人もいますし、前年に観客として見て、翌年から参加する人もいます。

現代の都市では、昔の村のように「同じ土地に生まれ育ったから」という理由で、自然に共同体をつくることは極めて難しくなっています。だから私たちは、自分たちが何をしようとしているのかを伝え、実際に祭りを味わってもらい、共感した人たちを集めていく必要があります。

土地によって結ばれるのではなく、体験や考え方への共感によって共同体をつくっているともいえます。

尾亦 「共感でつくる、都市の共同体」ですね。ただ、広く門戸を開く一方で、山城組のケチャは圧倒的な完成度を保っています。この「誰でも入れること」と「表現の質を高めること」は、一見すると矛盾するようにも思えるのですが、どうやって両立させているのですか。

本田 そこがケチャという芸能の本当におもしろいところです。先にご紹介したように、ケチャは、4つの異なるリズムパターンを組み合わせたときに、初めて非常に複雑な16ビートが生まれます。

このとき、とても大切なことは、中核となるメンバーが揺るぎない16ビートを奏でることです。中核部分に、新しく加わった人が少しずつ同化していくことで、いつの間にか、リズムパターンが正確に揃ってしまう。そして、いったん揃うと、その中に強力に引き込まれてしまい、それを意図的に狂わせることはほぼ不可能になります。

もちろん、初めて来た人がすぐにすべてできるわけではありません。最初はおぼつかなくても、一緒にやりながら少しずつ身につけていけます。

一方で、あるレベルまで高めるには、時間をかけて、お互いにコミュニケーションを重ねる必要があります。誰一人として落ちこぼれをつくらず、共同体の中で一緒に育てていく。そういった意味で、ケチャとは、まさに「絆の芸能」なんです。

ケチャまつりの本番に向けた稽古中の様子

準備のプロセスで人が鍛えられ、関係が深まる

尾亦 ここまでお話を伺うと、ケチャまつりは本番だけでなく、準備や運営の過程にも大きな意味があるように感じます。

本田 そうですね。祭りをきちんと運営できるかどうかには、その共同体がうまく機能しているか、みんなが力を合わせられているかが表れます。

毎年祭りを行うことで、その年の集団の結集力や問題解決力が見えてくる。うまくいけば、「今年はここまでできたね」と、自分たちの状態を確かめることもできます。

パフォーマンスの本番だけでなく、準備を通じて人が鍛えられ、関係が深まっていくことも、祭りの大切な役割なんです。

尾亦 もう少し役割を整理して、効率よく運営することもできそうですが、分業を進めすぎると、山城組らしさが失われるようにも思います。

本田 ケチャまつりでは、祭りを運営する人、仕込みをする人、演じる人が切り離されず、みんながすべての役割を担っています。ケチャまつりだけでなく、私たちがお手本にした伝統的な共同体の祭りは、そういう形を取っていることが圧倒的に多いと言えます。

一方、現代のイベントの多くは、裏方スタッフと出演者がはっきりと分かれていることが多いと思います。目先の効率だけを求めて分業体制にしてしまえば、祭りの持つ最も大切な部分が崩れてしまうのではないかと思います。

ただ、私たちの今のやり方は、まだまだ完成形では決してなく、毎年少しずつ改善し、よりよい仕組みにしていく工夫を絶えず続けています。

尾亦 効率化そのものを否定しているわけではなく、何を残したまま改善するかが重要なのですね。

祭仲間への参加と同時期に習い始めたドラムでも、16ビートを習得中だと話す尾亦氏

本田 そうです。バリ島の祭りを調べてみて驚いたのは、外からは、誰が指示を出しているのか、いわゆる指揮系統がまったく見えないことです。長い時間をかけて成熟した人間関係ができているので、都度言葉で細かく指示しなくても、誰がいつ何をするのかが互いに自然に察知され、まさに以心伝心、阿吽の呼吸で物事がスムーズに進んでいくんです。

私たちの場合は、現代に生まれ、西欧文明の強い影響を受けて育った人たちの集まりですから、なかなか同じようにはいきません。本部から明示的に指示を出す必要もあります。それでも、仕込みや運営を一緒に行う中で、自分で考えて動く力や、人との関わり方を少しずつ身につけていくことはできるのではないかと思っています。

尾亦 約50年続けてきたことで、運営のあり方にも変化はありましたか。

本田 長く関わる人が増え、祭りの核になる部分が強くなりました。私もですが、数十年活動を続けている人たちがいて、その間に培われた信頼関係や経験があります。中心がしっかりしているからこそ、新しく入ってきた人を思い切って受け入れ、一人ずつ中へ巻き込んでいけるんです。まさにケチャと同じですね。

信頼関係を築くためには、どうしても時間が必要です。長く続けたことで、新しい人が参加しやすくなったことは、大きな変化だと思います。

尾亦 長年関わっている外部スタッフも、山城組の一員のような関係になっているそうですね。

本田 例えば照明は、私たちだけではできないのでプロの方にお願いしています。ただ、その方々とも50年近い付き合いがあり、多くのことが阿吽の呼吸で進むようになってきています。専門家に仕事を切り出して任せるというより、長い時間をかけて、一緒に祭りをつくる仲間になっている。そうした関係も、継続の中で育ってきました。

日本の伝統芸能の中でも高い芸術性を誇る鹿踊(ししおどり)もケチャまつりの演目ハイライトの一つ(期間中、限定日のみ)。岩手県奥州市・奥山行上流餅田鹿踊保存会が、特別に至芸を披露。山城組メンバーの師匠として、直接指導・薫陶を受けている。

尾亦 お金も時間も労力もかかる中で、なぜ約50年も続けられたのでしょうか。

本田 やはり、祭りそのものが楽しいからです。みんなで力を合わせ、祭りがうまくいったときには、大きな喜びがあります。負担が苦しいだけなら、これほど長くは続きません。

祭りでは、お金や時間、労力を惜しみなく注ぎ込みます。それでも続けたいと思えるのは、つくり上げたときに得られる喜びが、それだけ大きいからです。

尾亦 イベント制作にも通じる感覚があります。準備は大変でも、出来上がったものを届け、来場者に喜んでもらえたときには、大きな達成感があります。

本田 そうだと思います。イベントと祭りでは、目的や仕組みが異なる部分もあります。ただ、世界各地の共同体が長い時間をかけて育ててきた祭りには、人を集め、力を引き出し、ともに何かをつくるための知恵があります。

効率だけではなく、つくる過程でどのような関係が育つのか。集まった人が、次の担い手になっていくのか。そうした視点は、イベントづくりにも参考になるのではないでしょうか。

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■ 第48回 芸能山城組 ケチャまつり
新宿三井ビルディング 55HIROBA
2026年7月29日(水)〜8月2日(日) |
入場無料

飲料・グッズ・音源の物販あり 巨竹アンサンブル〈ジェゴグ〉による『交響組曲AKIRA』の演奏とお客様への手ほどき、ブルガリアとジョージアの伝統合唱、青銅の交響楽〈ガムラン〉の演奏と踊り、岩手県奥州市の奥山行上流餅田鹿踊保存会による「鹿踊」、インドネシア・バリ島の〈ケチャ〉など極上のワールドパフォーマンスが次々に繰り広げられ、人びとをライトトランスの世界へといざないます。

write&edit : yoko sueyoshi
photo : hideki ookura
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