近年、音声認識やAIなど便利なテクノロジーが次々と生まれています。こうした技術によって「できること」が増える今、イベント制作の現場でも「本当の意味で誰もが楽しめる体験とは何か」が改めて問われています。
イベント制作の裏側に潜む「無意識の偏り」を、テクノロジーと私たちの意識のあり方から考え直すため、お話を伺うのは、障害を「世界を捉え直す視点」として数々のプロジェクトを企画してきた田中みゆき氏と、東京2020パラリンピック閉会式の全体統括を経て、イベントにおけるDEIの重要性を発信する星山賢氏。
「形ばかりのバリアフリー」で終わらせないために。参加者の主体性を尊重し、心に届く「体験設計」をどう描くべきか。明日からの現場で活かせる対話のヒントを探ります。
イベント制作の裏側に潜む「無意識の偏り」を、テクノロジーと私たちの意識のあり方から考え直すため、お話を伺うのは、障害を「世界を捉え直す視点」として数々のプロジェクトを企画してきた田中みゆき氏と、東京2020パラリンピック閉会式の全体統括を経て、イベントにおけるDEIの重要性を発信する星山賢氏。
「形ばかりのバリアフリー」で終わらせないために。参加者の主体性を尊重し、心に届く「体験設計」をどう描くべきか。明日からの現場で活かせる対話のヒントを探ります。
プロフィール
田中みゆき
キュレーター/プロデューサー。「障害は世界を捉え直す視点」をテーマに、カテゴリーにとらわれないプロジェクトを通して表現の捉え方を多様な鑑賞者とともに再考する。最近の仕事に『音で観るダンスのワークインプログレス』『オーディオゲームセンター』『ルール?展』展覧会『語りの複数性』など。2022年7月から12月までACCのフェローシップを経てニューヨーク大学障害学センター客員研究員としてニューヨークに滞在後、帰国。2025大阪・関西万博 日本館基本構想クリエイター。
星山賢
施工会社や制作プロダクションを経て2008年電通ライブ(旧電通テック)に入社。様々な企業のイベントプロモーションから官公庁などの案件も担当。2021年に開催された東京2020パラリンピック競技大会ではクロージングセレモニーの全体統括として関わり、そこでイベントにおけるDEIの大切さを肌で感じ、「みんなのイベント・ガイドライン」や「サステナビリティに配慮したガイドラインDEI編」の制作メンバーに参画。
田中みゆき
キュレーター/プロデューサー。「障害は世界を捉え直す視点」をテーマに、カテゴリーにとらわれないプロジェクトを通して表現の捉え方を多様な鑑賞者とともに再考する。最近の仕事に『音で観るダンスのワークインプログレス』『オーディオゲームセンター』『ルール?展』展覧会『語りの複数性』など。2022年7月から12月までACCのフェローシップを経てニューヨーク大学障害学センター客員研究員としてニューヨークに滞在後、帰国。2025大阪・関西万博 日本館基本構想クリエイター。
星山賢
施工会社や制作プロダクションを経て2008年電通ライブ(旧電通テック)に入社。様々な企業のイベントプロモーションから官公庁などの案件も担当。2021年に開催された東京2020パラリンピック競技大会ではクロージングセレモニーの全体統括として関わり、そこでイベントにおけるDEIの大切さを肌で感じ、「みんなのイベント・ガイドライン」や「サステナビリティに配慮したガイドラインDEI編」の制作メンバーに参画。
テクノロジーの実装を急ぐ前に、まず立ち返りたい「健常者中心主義」の危うさ
――テクノロジーが加速度的に進化する中で、人間の能力拡張やアクセシビリティの向上への期待が高まっています。実際にテクノロジーを取り入れることで、社会におけるアクセシビリティはどう変わっていくとお考えでしょうか。
田中:前提として、「エイブリズム(Ableism:健常中心主義)」についての理解が必要だと思います。エイブリズムとは、健常者の心身の状態や価値観を「標準」とし、それに当てはまらない人を「劣っている」あるいは「直すべき対象」と見なす考え方のことです。
テクノロジーとエイブリズムは、実は密接に切り離せない関係にあります。例えば、視覚障害のある人がデバイスを使って一人で道を歩けるようになる、あるいは聴覚障害のある人が音声認識で会話をテキスト化して理解できるようになる。これらは一見素晴らしい進化ですが、その根底にあるモデルは「障害者を、いかに健常者の状態に近づけるか」という、いわばメインストリームへの「同化」なんです。
もちろん、それによって仕事の機会を得たり、外出の選択肢が増えたりするのは非常に良いことです。しかし、それが「彼らが自分自身の体のまま、ありのままの状態で豊かに生きられる社会」に向かっているかというと、実は逆行している側面があるのではないか。テクノロジーによって「健常者に負担をかけなくて済む(健常者にとって都合のいい)人」を増やしているだけではないか、という問いを忘れてはいけないと思います。
田中:前提として、「エイブリズム(Ableism:健常中心主義)」についての理解が必要だと思います。エイブリズムとは、健常者の心身の状態や価値観を「標準」とし、それに当てはまらない人を「劣っている」あるいは「直すべき対象」と見なす考え方のことです。
テクノロジーとエイブリズムは、実は密接に切り離せない関係にあります。例えば、視覚障害のある人がデバイスを使って一人で道を歩けるようになる、あるいは聴覚障害のある人が音声認識で会話をテキスト化して理解できるようになる。これらは一見素晴らしい進化ですが、その根底にあるモデルは「障害者を、いかに健常者の状態に近づけるか」という、いわばメインストリームへの「同化」なんです。
もちろん、それによって仕事の機会を得たり、外出の選択肢が増えたりするのは非常に良いことです。しかし、それが「彼らが自分自身の体のまま、ありのままの状態で豊かに生きられる社会」に向かっているかというと、実は逆行している側面があるのではないか。テクノロジーによって「健常者に負担をかけなくて済む(健常者にとって都合のいい)人」を増やしているだけではないか、という問いを忘れてはいけないと思います。

星山:普通に生活していると、同化にはなかなか気づけません。「便利になって良かった」で片付けてしまいがちです。
田中:例えば、パラリンピックで「義足というテクノロジーによって、驚異的な記録で走る」ことは感動の物語として称賛されます。でも、もしその選手がオリンピックに出ようとすれば、拒絶反応を示す人が現れます。
これは、「障害者が『障害者』という枠の中で感動を与えてくれる分には歓迎するけれど、健常者の領域に入ってくるのは線を引いて拒絶する」という心理が顕在化されています。自分たちとは違う存在として切り離しながら、エンターテインメントとして消費する。この歪んだ構造は、形を変えながら今も日本社会で平然と続いています。
星山:私もパラリンピックで選手の頑張りをみて、純粋に感動を覚えてしまう人間の一人ですが、実際に健常者を超える記録を出している人がいる以上、「障害者のためのスポーツ大会」という枠に閉じ込め、別物として切り離すことの是非を、社会全体で議論していかなければいけないのかもしれませんね。
田中:例えば、パラリンピックで「義足というテクノロジーによって、驚異的な記録で走る」ことは感動の物語として称賛されます。でも、もしその選手がオリンピックに出ようとすれば、拒絶反応を示す人が現れます。
これは、「障害者が『障害者』という枠の中で感動を与えてくれる分には歓迎するけれど、健常者の領域に入ってくるのは線を引いて拒絶する」という心理が顕在化されています。自分たちとは違う存在として切り離しながら、エンターテインメントとして消費する。この歪んだ構造は、形を変えながら今も日本社会で平然と続いています。
星山:私もパラリンピックで選手の頑張りをみて、純粋に感動を覚えてしまう人間の一人ですが、実際に健常者を超える記録を出している人がいる以上、「障害者のためのスポーツ大会」という枠に閉じ込め、別物として切り離すことの是非を、社会全体で議論していかなければいけないのかもしれませんね。
見栄えの良さではなく、当事者の主体性を支えるテクノロジーを
――テクノロジーの実装と聞くと、すぐに期待してしまいますが、健常中心主義に偏っていないか疑わないと、根本的な課題の解決にはならないということですね。
田中:テクノロジーを考えるときにすごく危険なのは、「感動を生む」ようなことにはお金が注ぎ込まれがちだということです。見応えがあるし、見栄えもするし、多くの人が喜ぶ。開発側も投資する側もそういう方向に流れやすいのですが、本当に必要なのは、もっと地味で、障害のある人がその人らしく日常を生きていくためのテクノロジーです。
星山:目新しいテクノロジーの実装を急ぐだけでなく、障害のある人を「支援の対象」としてではなく、自立した意思を持つ「主体」として捉え直す視点が必要ではないでしょうか。
田中:テクノロジーを考えるときにすごく危険なのは、「感動を生む」ようなことにはお金が注ぎ込まれがちだということです。見応えがあるし、見栄えもするし、多くの人が喜ぶ。開発側も投資する側もそういう方向に流れやすいのですが、本当に必要なのは、もっと地味で、障害のある人がその人らしく日常を生きていくためのテクノロジーです。
星山:目新しいテクノロジーの実装を急ぐだけでなく、障害のある人を「支援の対象」としてではなく、自立した意思を持つ「主体」として捉え直す視点が必要ではないでしょうか。

星山賢さん
田中:まさに「主体性を奪わないこと」がアクセシビリティの核心です。日本の場合、障害のある人に対する人権意識が非常に低いと感じます。「良かれと思って」当事者の代わりに何かを決めたりしてしまう人がまだまだ多い。それによって当事者の方も「自分には能力が足りない」と思い込まされています。障害のある人の自立生活がなかなか進まない背景のひとつにはそういった価値観があります。
アメリカのろう学校で教える友人の話ですが、まず「耳が聞こえないことで、あなたの権利が損なわれることは絶対にない」ということを徹底的に教え込むそうです。対して日本では、「人に迷惑をかけてはいけない。迷惑をかける人は周囲の思いやりに常に感謝を示さなければならない」という意識が埋め込まれているように感じられてなりません。「健常者=100%の人権がある人、障害者=それ以下の人」という、極めて残酷な能力主義です。
しかし、私たちは皆、常に変化し、老いていく揺らぎの中にいます。「自分は一生100%完璧な健常者である」と断言できる人はいないはずです。その意味でも、どのような状態になっても主体性が守られる仕組みを作ることは、障害者支援という枠を超え、この社会で生きるすべての人に安心を保証することに他なりません。
アメリカのろう学校で教える友人の話ですが、まず「耳が聞こえないことで、あなたの権利が損なわれることは絶対にない」ということを徹底的に教え込むそうです。対して日本では、「人に迷惑をかけてはいけない。迷惑をかける人は周囲の思いやりに常に感謝を示さなければならない」という意識が埋め込まれているように感じられてなりません。「健常者=100%の人権がある人、障害者=それ以下の人」という、極めて残酷な能力主義です。
しかし、私たちは皆、常に変化し、老いていく揺らぎの中にいます。「自分は一生100%完璧な健常者である」と断言できる人はいないはずです。その意味でも、どのような状態になっても主体性が守られる仕組みを作ることは、障害者支援という枠を超え、この社会で生きるすべての人に安心を保証することに他なりません。

田中みゆきさん
AIが人間の主観やバイアスを排除し、属性を超えた共感を設計する可能性
――では、未来のイベントをよりインクルーシブなものにしていくために、制作者が明日からできることは何でしょうか。デジタルの世界ではアクセシブルな設定が充実してきていますが、リアルのイベントという特定の場所と時間における体験をどう変えていけばいいでしょうか。
田中:インクルーシブには色々な形があります。多くの人は、バリアフリーの基準を達成することに一生懸命になりがちですが、その前に「どういう場を作りたいか」「その場を開くことが来場者に何をもたらすのか」という本質を話し合うべきです。 障害者が一人参加すれば達成、という話ではありません。さらに「なぜバリアフリーにすることが自分たちにとって必要なのか」という対話を深めることが必要です。
星山:「健常者に合わせる」という前提を捨てて、関わる人のマインドが変われば、自ずとテクノロジーの使い方も変わっていくはずだと、改めて痛感しました。
田中:テクノロジーの可能性という意味では、私はAIに大きな期待を寄せています。なぜなら、AIには「人間の忖度」がないからです。 アクセシビリティを阻む最大の要因は、実は「縦割りで役割が分断された組織やマジョリティを前提につくられた商慣習」です。例えば、アメリカの薬局では薬が鍵付きの棚に入っていて、視覚障害者は店員に説明を読んでもらわないと買えません。でも、読み上げてもらうよう頼むと、店員から「自分は薬剤師ではないから、薬事法に関わることはできない」と断られることがあります。ここで基本的な情報へのアクセスが遮断されるんです。
これは特殊な例ではなく、イベントに関しても言えることです。例えば、日本で開催される大規模なイベントでは、企画と運営、チケット販売、現場の管理などがそれぞれ別の会社によって担われていることがありますよね。本来、アクセシビリティは全体を横断して実装されるべきものですが、役割の細分化によって窓口や現場で聞いてもアクセシビリティの情報が得られないケースがあります。。
しかし、AIなら忖度なく淡々と情報を提供してくれます。AIによって、これまで「自分の責任はここまで」「普通は当たり前にできるから問題ない」という意識によって閉じられていた扉が、一気に開かれました。これは大きな希望です。ただ、AIの活用は消費者側のリテラシーに依存しており、デジタル格差によってアクセスできない人も出てくるでしょう。さらにAI自体にバイアスが潜んでいるリスクにも留意しなければいけません。それでも「マジョリティによって構築された社会の構造」を打破する可能性を持っています。
田中:インクルーシブには色々な形があります。多くの人は、バリアフリーの基準を達成することに一生懸命になりがちですが、その前に「どういう場を作りたいか」「その場を開くことが来場者に何をもたらすのか」という本質を話し合うべきです。 障害者が一人参加すれば達成、という話ではありません。さらに「なぜバリアフリーにすることが自分たちにとって必要なのか」という対話を深めることが必要です。
星山:「健常者に合わせる」という前提を捨てて、関わる人のマインドが変われば、自ずとテクノロジーの使い方も変わっていくはずだと、改めて痛感しました。
田中:テクノロジーの可能性という意味では、私はAIに大きな期待を寄せています。なぜなら、AIには「人間の忖度」がないからです。 アクセシビリティを阻む最大の要因は、実は「縦割りで役割が分断された組織やマジョリティを前提につくられた商慣習」です。例えば、アメリカの薬局では薬が鍵付きの棚に入っていて、視覚障害者は店員に説明を読んでもらわないと買えません。でも、読み上げてもらうよう頼むと、店員から「自分は薬剤師ではないから、薬事法に関わることはできない」と断られることがあります。ここで基本的な情報へのアクセスが遮断されるんです。
これは特殊な例ではなく、イベントに関しても言えることです。例えば、日本で開催される大規模なイベントでは、企画と運営、チケット販売、現場の管理などがそれぞれ別の会社によって担われていることがありますよね。本来、アクセシビリティは全体を横断して実装されるべきものですが、役割の細分化によって窓口や現場で聞いてもアクセシビリティの情報が得られないケースがあります。。
しかし、AIなら忖度なく淡々と情報を提供してくれます。AIによって、これまで「自分の責任はここまで」「普通は当たり前にできるから問題ない」という意識によって閉じられていた扉が、一気に開かれました。これは大きな希望です。ただ、AIの活用は消費者側のリテラシーに依存しており、デジタル格差によってアクセスできない人も出てくるでしょう。さらにAI自体にバイアスが潜んでいるリスクにも留意しなければいけません。それでも「マジョリティによって構築された社会の構造」を打破する可能性を持っています。

星山:イベントという身体性を伴う現場だと、視座が「アクセスの確保(入れるかどうか)」という入り口の部分で止まってしまっている気がします。その先の「体験の本質をどう共有するか」というフェーズまで上げていかなければいけません。
田中:教育格差や経験値のギャップをどう埋めるかという課題は大きいですが、まずは制作者が「あなたに来てほしい」というメッセージを、その中身(コンテンツ)が対象とする人々にとって魅力的なものになっているかから考え、適切な方法で伝え続けること。そして、アクセシビリティを権利として当たり前に実装していく。それがイベント制作、ひいては社会のOSを書き換える第一歩になるのだと思います。
write&edit : yoko sueyoshi
photo : hideki ookura
田中:教育格差や経験値のギャップをどう埋めるかという課題は大きいですが、まずは制作者が「あなたに来てほしい」というメッセージを、その中身(コンテンツ)が対象とする人々にとって魅力的なものになっているかから考え、適切な方法で伝え続けること。そして、アクセシビリティを権利として当たり前に実装していく。それがイベント制作、ひいては社会のOSを書き換える第一歩になるのだと思います。
write&edit : yoko sueyoshi
photo : hideki ookura
